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2018年2月5日月曜日

東方正教会の歴史 History of the Eastern Orthodox Church


MULTILINGUAL CHRISTIANITY - ORTHODOXY


東方正教会の歴史

History of the Eastern Orthodox Church

1 初代教会
正教会の歴史を説明するには、最初にハリストス(キリスト)とその弟子たちについてふれなければなりません。正教会は、ハリストス(キリスト)によって作られた教会そのものなのです。ハリストス(キリスト)は、十字架にかかり、死に、そして復活した後、昇天されました。そしてこの世の終わりに光栄のうちに再び来られます(「再臨」という)。このハリストス(キリスト)の昇天と再臨の間の期間のために、ハリストス(キリスト)は私たちに「教会」を与えられました。

「教会」はギリシャ語で「エクレシア」と言います。これは「呼び集められた者の集まり」という意味をもつ言葉です。つまり「教会」とは、この世においてそして天国において神の言葉を守り、神の御旨と業を行うために招集された神の民の集まりです。

ハリストス(キリスト)は、凡そ30才の時に公に人々の前に現れ、神の国を教え、やがて十字架と復活という救いの業をなされました。このことを「公生涯」と言います。歴史的に言えば、ローマ皇帝ティベリウス在位(紀元後14~37年)の時代です。
ハリストス(キリスト)はその「公生涯」の最初から弟子たちをご自分のそばに招きよせました。弟子たちは次第に増えていき、その中から特別に12人を選びました。それが「十二弟子」とか「十二使徒」と呼ばれる人たちです。ハリストス(キリスト)は、単なる「教えの言葉」を与えるだけではなく、神の国の体験、人としての正しい生き方、正しい信仰を、生活をとおして伝授するために十二弟子を選ばれたのです。弟子たちはハリストス(キリスト)を見、聞き、触れ、生きた交わりをした人たちでした。そして彼らはハリストス(キリスト)の「復活の証人」となりました。

弟子たちのもとへ聖神(せいしん)が降臨した時、彼らはハリストス(キリスト)の教えの意味、十字架と復活の意味を十分に悟りました。ここから彼らの力強い福音の宣教が始まりました。それで「聖神降臨」の日を「教会の誕生日」と呼ぶことがあります。

ペトル(ペテロ)やパウェル(パウロ)といった最初の弟子たちは、使徒となってハリストス(キリスト)の復活の福音を全世界に伝えるために活躍しました。『使徒行実』にはその様子が記されています。使徒たちの教える福音を信じて洗礼を受ける人たちがどんどん増えていきました。彼等が「クリスチャン」と呼ばれるようになったのはアンテオケという町においてです。

使徒たちは、町々で自分の後継者を育てました。その後継者を中心とした教会が地方地方で大きくなっていきました。その後継者は、聖書では「長老」と呼ばれていますが、今でいう「主教」に当たる人たちです。その「主教」を中心とした教会は、三世紀末には、すでにローマ、アフリカ、エジプト、ギリシャ、小アジア(現在のトルコ)、アラビア、インドなどに広がりました。

クリスチャンたちは毎週日曜日には集まって共に祈り、パンを裂いていました。これは今でいう「聖体礼儀」です。さらに「洗礼」やその他の祈祷が、定型の祈祷文によって執り行われました。 この時代の祈祷文の一部は今も正教会の奉神礼の中で使用されています。クリスチャンたちが集まった場所としては、信徒の家や専用の集会所もありましたが、ローマでは「カタコンベ」と呼ばれる地下墓地に集まり、さまざまな壁画を書いて、信仰を固めていました。

しかし、当時、教会は迫害されていた時代でした。第一にユダヤ教徒から、第二に異教の俗衆から、第三にローマ帝国からの圧迫を受けました。「クリスチャン」というだけで裁判、投獄、拷問、そして処刑された人たちがたくさんいました。それでも信仰を守った人たちのことを「致命者」(一般では「殉教者」)と言います。

また、教会の教えや信仰に対しての論争があり、教会外からその信仰を嘲笑する人たちがいました。キリスト教は、神々を拝まないため無神論者だとか、ハリストス(キリスト)の体と血を食べる人食い人種だとか、愛を教える性的放縦者だとか、そのほとんどは全くの誤解や見当外れのものでした。それらに対して弁護をした「弁証家」と呼ばれる聖人たちがいます。「弁証家」たちは、正教会の「正しさ」を熱心に説いた人たちです。
そして、教会の内部でも、その真理と信仰を歪める人たちがいました。彼等は「異端者」と呼ばれます。異端者は、正教会の正しさの一部を切り捨てたり別の教えを取り入れたりして、自分勝手な間違った教義を唱えました。例えば、グノーシスと呼ばれる異端者たちは、二元論の思想や異教の教義とキリスト教を混合させました。マルキオンという人は、