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2019年10月13日日曜日

正教会では、主教たちはみな同等です In the Orthodox Church all the Bishops are equal


正教会では、主教たちはみな同等です

In the Orthodox Church all the Bishops are equal

正教会では、主教たちはみな同等です。主教が代表する一つ一つの教会は、それぞれが神さまの祝福のもとにある「完全なハリストスの体」であって優劣はないからです。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/中学生の質問にお答え.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

2019年9月12日木曜日

昔の人はどうでしたか。体は今の人より丈夫だったのではないですか、それとも自分を甘やかさなかったのでしょうか。 - 聖山アトスのパイシイとの対話 - Q&A - Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)


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昔の人はどうでしたか。体は今の人より丈夫だったのではないですか、それとも自分を甘やかさなかったのでしょうか。

聖山アトスのパイシイとの対話

Q&A

Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

――長老様、昔の人はどうでしたか。体は今の人より丈夫だったのではないですか、それとも自分を甘やかさなかったのでしょうか。

――そりゃもちろん、頑丈だったし、自分を甘やかさなかったよ。長老ハッジ=ゲオルギイは修道士たちに毎日クルミと蜂蜜を少しやっていた。だって修道士は15歳やそこらで、まだ若い。成長しなければならない大切な時じゃ。ところが霊的にはまったくの大人だったのじゃよ。今はどうか?みんなこの世の論理に振り回されておるではないかの。「子どもたちには斎させる必要はありません。病気になったりしたら困りますから。不足を感じることがないように、困ったことからは守ってやらなければなりません」。かわいそうに、子どもたちはハンバーグやらトンカツばかり欲しがるが、それが何か彼らによい結果をもたらしておるかの?

 ハリストスのために食べない者は、真の意味で自分を養っておるのじゃよ。もしハリストスのためにうまい料理よりまずいものを取るのだとしたら、それはまずいものを通してハリストスで自分を養っているということになる。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/アトスの長老パイシイの教え_自己愛とは何か.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

2019年9月6日金曜日

今日教会で、お年寄りがやっとのことで階段を昇っているのを見ました。脇を通り過ぎていった人も多かったのに、誰も助けてやろうとはしませんでした。 - 聖山アトスのパイシイとの対話 - Q&A - Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)


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今日教会で、お年寄りがやっとのことで階段を昇っているのを見ました。脇を通り過ぎていった人も多かったのに、誰も助けてやろうとはしませんでした。

聖山アトスのパイシイとの対話

Q&A

Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

――長老様、今日教会で、お年寄りがやっとのことで階段を昇っているのを見ました。脇を通り過ぎていった人も多かったのに、誰も助けてやろうとはしませんでした。

――「祭司は・・・彼を見たが向こうを通っていった。そしてレビ人も・・・これを見たが向こう側を通っていった」ということかな?まったくその通りじゃ。福音書の善きサマリヤ人のことを知らないし、聞いたこともないのじゃな!言うべき言葉もない。他人ではなく自分を愛しているというわけじゃ。自己愛は他人への愛を滅ぼす、だからそういうふうに行いに現れてくるのじゃよ。しかしな、自分を愛する者は、福音書の心で生きてはいない。もしハリストスがご自分のことだけお考えになっておられたとしたら、天から地には下りて来られなかったじゃろう。わしらの救いのために苦しみをお受けにはならなかったじゃろうな。

 きょうびほとんどの人間が自己愛を持っておるが、犠牲の心はない。「せめて自分さえよければ」という精神が支配しておる。周りの人々を見回せば、つらくなるばかりじゃ。近頃、病院でこんなことがあったよ。病人を起こして別の病室に移してやる必要があったのじゃが、看護師は腰を上げようともせんのじゃ。「出来ません。私は腰痛持ちですから」などと平気で言ってのける。それが自分の仕事であるにもかかわらずじゃ。なんとまあ、非人間的なことじゃろう!ところが身重の看護婦が同僚といっしょに病人を起こして運んでいったよ。彼女たちは自分のことは考えになかったのじゃ。一人など、大事な体だというのに、それも忘れてすぐさま助けようと走り寄ってきた。こういう、つらい立場にありながら他人のために自分を犠牲にする人を見ると、わしは本当にうれしい。心が躍るような思いがするし、親しみを覚える。なぜならそういう人は神に近いからじゃ。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/アトスの長老パイシイの教え_自己愛とは何か.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

2019年8月19日月曜日

長老様、「自分」を捨てなければならぬとおっしゃいますが、それを考えるとこわくなります。もし私がそれに耐えられなかったら?- Q&A - Saint Paisios of Holy Mount Athos, Greece (+1994)


SAINT PAISIOS OF HOLY MOUNT ATHOS


長老様、「自分」を捨てなければならぬとおっしゃいますが、それを考えるとこわくなります。もし私がそれに耐えられなかったら?

聖山アトスのパイシイとの対話

Q&A

Saint Paisios of Mount Athos, Greece (+1994)

――長老様、「自分」を捨てなければならぬとおっしゃいますが、それを考えるとこわくなります。もし私がそれに耐えられなかったら?

――何ということを!そりゃお前さん、「もし私が自分の霊的欠点をすべて捨てたら、後は何が残るだろう?」と言っているのと同じじゃよ。「自分」というのは、霊的欠点のことじゃよ。古ぼけた人間の皮を脱ぎ捨てることを意味しているのじゃ。分別のある大人が「『自分』を捨てることは出来ません」と言うのはおかしいのではないかな。もちろん、筆しか握ったことのない人間にくず鉄のかたまりを渡して「この壁を壊してみよ」と言ったら、「出来ない」と言うじゃろう。しかし古ぼけた人間の皮を捨て去るのに力は必要ないんじゃ。必要なのはあきらめじゃ。

自己愛というのは、必要以上に食ったり休んだりすることをいうのじゃ。健全な意味で、身体には必要なぶんだけ与えればよい。欲望と必要は区別しなければいかん。欲望とは体を甘やかすことで、必要とは不可欠なものじゃよ。たとえば、わしの前に料理が二皿あるとする。どちらも同じようにビタミンが豊富じゃが、一つはおいしいもので、もう一つはそれほどでもない。もしおいしいほうを好んだら、それは自己愛になる。だがもし病気で食欲がないところへそれを増す必要があるからうまい料理を取るのだとしたら、それは思慮深い判断じゃ。

 師父マカリイが言うように、体というものは「悪い集税吏」でな。必要以上に要求するのじゃ。それは今までの習慣にどれだけ体が慣らされているかによるがの。小さい胃袋の持ち主は斎(ものいみ)するのは簡単じゃろうが、胃袋が大きければ人はその奴隷になってしまう。いつも何がしかの食べ物で胃を満たさねばならんからな。たとえば、こんな人がいるとする・・・その人の胃袋は倉庫みたいなもので、少なくとも子牛を半頭食べなければ気がすまん。で、食後はバケツ2杯分の水を飲む。

ソース:

http://nagoya-orthodox.com

http://nagoya-orthodox.com/ja/アトスの長老パイシイの教え_自己愛とは何か.html

名古屋正教会 NAGOYA ORTHODOX CHURCH

2019年7月10日水曜日

旧約聖書=イエス・キリスト登場前。 新約聖書=イエス・キリスト登場後 Holy Bible: Old and New Testament


MULTILINGUAL HOLY BIBLE


旧約聖書=イエス・キリスト登場前

新約聖書=イエス・キリスト登場後

聖書の原典は、旧約聖書がヘブライ語で、新約聖書がギリシャ語で書かれてる。

なので、「英語聖書」とか「日本語聖書」というのは、正確には「各国語に翻訳された聖書」。

2019年6月22日土曜日

エギナの聖ネクタリオス (+1920) St Nektarios of Aigine


SAINTS OF MY HEART


エギナの聖ネクタリオス (+1920)

(St Nektarios of Aigine Island, Greece)

エギナの聖ネクタリオス

エギナの聖ネクタリオス(英語: Saint Nektarios of Aigine、1846年 – 1920年)は、正教会の聖人。日本正教会で多用される教会スラヴ語由来の転写ではネクタリイ。

修道院の設立と指導、数多くの著述、信徒の精神的指導、および数々の奇蹟によって知られる。神学者、哲学者、詩人、教育者、禁欲主義者、神秘主義者などと称されるほどの多才な面があった。歌詞は公祈祷の祈祷文によるものではないが、全世界の正教会で愛唱される聖歌『アグニ・パルセネ』を作曲してもいる。

1846年10月1日、トラキアのシリヴリアの貧しい家庭に生まれた。生まれた際の俗名はアナスタシオス・ケファラス。14歳のとき、働きつつ教育を受けるためにコンスタンディヌーポリに移住。1866年からはキオス島の学校で教えつつそこに7年間住み、30歳で修道士となる。3年後、輔祭となり、ネクタリオスの名を与えられる。1885年にアテネ大学を卒業。大学時代から、多くの聖書註解を含む多くの著述を行う。

アレクサンドリアで司祭に叙聖され、カイロの教会に奉職。これは名誉ある職分であった。1889年に敬神の念と説教者としての実力、牧会能力が評価され、総主教ソフロニオスによりペンタポリス府主教に叙聖される。すぐにネクタリオスの人望が高まるが、その声望を妬んだ聖職者達によって噂が立てられ、噂を信じてネクタリオスの弁明を聞かなかった総主教ソフロニオスにより、弁解の機会も与えられず教会裁判の手続きも経ず、エジプトから追放される。1891年にギリシャに戻り、何年かを説教者として過ごす。

1894年にアテネ・リザリオス教会学校の校長を任ぜられ、15年間在職しこの間多くの著作をのこす。1904年には何人かの修道女の求めに応じ、エギナ島に至聖三者女子修道院を設立する。1908年12月に神学校校長の職を辞し、エギナ島の至聖三者女子修道院に一修道士として隠棲する。ここでも著述を行い、精神的指導を求めて来る近隣の人々の痛悔を聞いた。
1920年11月9日、永眠。永眠後の遺体の傍らで、重病人が快癒する奇蹟が起きたと伝えられている。埋葬式には多くの人がギリシャ・エジプト全土から訪れた。1961年4月20日に列聖。生前からネクタリオスを聖人とみる人々が多かったが、正式な列聖はこの日に行われた。

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2019年6月7日金曜日

日本の聖ニコラス (+1912) - St Nicholas Kasatkin of Japan


SAINTS OF MY HEART


日本の聖ニコラス (+1912)

St Nicholas Kasatkin of Japan

ニコライ (日本大主教)

ニコライ(修道誓願前の姓:カサートキン、 1836年8月1日(ロシア暦) - 1912年2月16日)は日本に正教を伝道した大主教(肩書きは永眠当時)。日本正教会の創建者。正教会で列聖され、亜使徒の称号を持つ聖人である。

「ロシア正教を伝えた」といった表現は誤りであり(後述、ニコライ本人も「ロシア正教を伝える」のではなく「正教を伝道する」事を終始意図していた。

ニコライは修道名で、本名はイワン・ドミートリエヴィチ・カサートキン。日本正教会では「亜使徒聖ニコライ」と呼ばれる事が多い。日本ではニコライ堂のニコライとして親しまれた。

神学大学生であった頃、在日本ロシア領事館附属聖堂司祭募集を知り、日本への正教伝道に駆り立てられたニコライは、その生涯を日本への正教伝道に捧げ、日露戦争中も日本にとどまり、日本で永眠した。

生涯

初期

スモレンスク県ベリスク郡ベリョーザの輔祭、ドミトリイ・カサートキンの息子として生まれる。母は5歳のときに死亡。ベリスク神学校初等科を卒業後、スモレンスク神学校を経て、サンクトペテルブルク神学大学に1857年入学。在学中、ヴァーシリー・ゴローニンの著した『日本幽囚記』を読んで以来日本への渡航と伝道に駆り立てられたニコライは、在日本ロシア領事館附属礼拝堂司祭募集を知り、志願してその任につくことになった。

在学中の1860年7月7日(ロシア暦)修士誓願し修道士ニコライとなる。同年7月12日(ロシア暦)聖使徒ペトル・パウェル祭の日、修道輔祭に叙聖(按手)され、翌日神学校付属礼

2019年5月25日土曜日

祈りに興じる To pray - 至聖三者聖セルギイ修道院


祈りに興じる To pray

至聖三者聖セルギイ修道院

2002年2月末から3月始めにかけて、名古屋教会司祭は モスクワ郊外の至聖三者聖セルギイ修道院へ単身研修派遣されました。 教団機関誌「正教時報」に掲載されたレポートをご紹介します。 正教の奉神礼的生活の一端にでも触れていただければ幸いです。


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伝統には誰でも近づくことができます。伝えられてきたものを忠実に再現することは根気さえあれば、いずれ誰にでも可能となります。幼い時から修行に励んでいれば、私だって今頃はいっぱしの職人でしょう。
 しかし芸術にせよ、思想にせよ、生き方にせよ独自の新しい世界を創り出すのは誰にでも可能なことではありません。創造的という悪魔的な言葉にとりつかれ、どれほど多くの人々が人生を空費してしまったことでしょう。
 生きること、そして日々の生活には安定したかたちが必要です。まずそのかたちを生活の律動の中で、共に生きる人々と分かち合うことが、生きることの喜びや楽しさへの誰にでも開かれた入り口です。私たちの不幸はそのかたちを失ってしまったことです。

 二月末から三月始めにかけ十日間、モスクワから数十キロ北にある至聖三者・聖セルギイ大修道院で過ごしました。七百年近い歴史を持つ、つねにロシア正教会の中心にあった修道院です。巡礼者や観光客への活発な対応へのいそがしさという外皮をはぎ取れば、「伝統」といったら他にどこで探せるのかというほど伝統的な暮らしがそこにあります。
 朝の五時半、聖セルギイの不朽体を前にした聖人への感謝祷から始まり、徹夜祷が永眠修道士たちへのリティアで終わる夜八時近く(日曜は徹夜祷が長く九時頃)まで、奉神礼を中心にした生活が毎日厳格に繰り返されます。修道院側から丁重にも立派なゲストルームを提供されたため体験できませんでしたが、おそらく修道士たちの修室でも祈りや労働を中心にした伝統的な生活が規則正しく実践されていることでしょう。鈴の音で始まり、聖人伝の誦読の内に「着々と」進む大食堂での食事にその片鱗をかいま見たと言えるかもしれませんが。
 しかし、そこでは、伝えられたかたちに縛り付けられ、凍り付いてしまった人々は見受